運動会が嫌いな人の本音(子供&大人)人には言えない本音と対策について
運動会が嫌いという人、子供も大人も結構多いのでは?と思います。しかし、周囲には「運動会は子供のため」のような空気が流れており、実際には口にしづらい意見でもありますよね。筆者は子供のころから運動会が大嫌いで、好きになったことは一度もありません(笑)運動会が嫌い、好きじゃないという意見だって、表に出ていないだけで実際にはたくさんあると思います。人には好みや得意不得意があるので、それも自然な事かと。実用性はあまりありませんが、今回は運動会が嫌いという人の心が軽くなるような記事にできたらと思います。
- 子供時代編 なぜ運動会が嫌い?
- 中学校・高校では運動とは別方向に逃げる(笑)
- どうして運動だけ「運動会」というスペシャルな機会があるのかという疑問・・・
- 海外にも運動会はある(ただしノリは違う)
- 実際の我が子(運動は得意でない)の反応は?
- 運動会は大変という事実を認める
子供時代編 なぜ運動会が嫌い?
そもそもなぜ運動会が嫌いなのかについて考えてみました。
運動自体が好きじゃない
→運動神経があまり良くないため、そもそも活躍できる機会がありません(笑)
チーム戦をまとめたり、他に得意な競技があるわけでもなく、ほとんど「先生に言われたり周りの空気で仕方なく頑張る」状態でした^^;
団体での行動が苦手で、勝ち負けにも興味がない
集団で同じことをすることも苦手なうえ、勝ち負けにも全く興味がありませんでした。
自分らしくいたいタイプなので、誰かとの競争に勝つことにはあまり意味を感じません。
そのため、はっきりいって運動会の勝ち負けにはあまり興味がなく、盛り上がっている周囲を横目で見ているような子供でした・・・^^;
それを楽しんでできる人はすごいと思いましたが、このようなタイプの人間にはあまり楽しめる要素がありません。
入退場などあまり意味のない練習が多い(軍隊方式?)
入退場の練習など、まるで軍隊のような練習が多く、日々炎天下のもと練習するのがかなりつらかったです。ひたすら耐える訓練のようでした。
これは性格や得意不得意にかかわらず誰しもつらいと思います。
運動会に意義を感じていないと、そのつらさが試練のようにのしかかってきます(笑)
家族と学校でご飯を食べるのが気恥ずかしい
筆者には兄弟もおり、兄弟を含む家族と学校で仲良くご飯を食べることに恥ずかしさを感じていました。友達やクラスメイトの前で兄弟と普段どおりすごすのがなんとも恥ずかしかったのです。
他の家族がたくさんいる中で家族団らんというのも無理があるのでは・・・と子供ながらにずっと思っていました(笑)
まったくリラックスできないお弁当タイムだったことを覚えています。
中学校・高校では運動とは別方向に逃げる(笑)
と、なんとも悲惨で卑屈な小学校時代の運動会・・・
小学校時代は子供のタイプにかかわらず絶対参加なんですよね。
中学校も競技は最低限強制されたことを覚えていますが、中学では音楽系の部活に入っていたため運動会用の演奏という逃げ場がありました。
演奏するシーンは限られているのでずっとというわけではありませんが、
これのおかげで運動会が小学校ほどつらくはなくなったのを覚えています。
高校に至っては競技には一切参加せず、救護係りの友達と親しくして、頼まれてもいないのに手伝いをしていたような気がします。このくらいの年齢になってくると自分でもどうすればなるべく上手く済ませられるか自分で対処法を考えられるようになってきます(笑)
先生たちもそれほど、体育祭にだれが何をしているということを気に留めていなかったようでした。高校では学業メインで評価されます。
たしか、体育祭(運動会)は1年のときだけだったような?
どうして運動だけ「運動会」というスペシャルな機会があるのかという疑問・・・
一般的に小学校では、もっとも大きな学校行事のひとつが運動会ですよね。
演劇や図画などのイベントもあるにはあったのですが、運動会の規模はやはり別格、しかも全員がほとんど同じことをします。
子供時代の筆者が嫌だったのが、運動だけ特別視されているような気がして(笑)、体育や運動が嫌いな人、別分野が得意な人の逃げ場がないということです^^;
実際にはそんなに極端ではなく、ひょっとしたら個人的に嫌な思い出による思い込みの部分もあるのかもしれませんが・・・
未だに地域などのイベントで大きなものは「運動会」に限定されているので、なんだかなぁと思ってしまいます。
運動会と言っても全く自由度がなく、ただ決められたことを軍隊のように実行するだけです。まったくもって面白くありません。^^;
そしてたとえば、ディベート大会とか、プレゼンテーション系、音楽会などの文化的な会はなぜないのか・・・!と長年疑問を抱いています(笑)
授業での扱いがたとえあったとしても、運動会ほどの一大イベントになることはなさそうです。
運動が嫌いな子供には、学校教育だけにとらわれず、別の分野で自信をつけてほしいと思いますね。
今は時代が良いので、あらゆることを個人でできる世の中だと思います。
海外にも運動会はある(ただしノリは違う)
運動会の記事で、「日本は・・・」と書かれたものも目にします。
国や学校の方針によるものもあると思いますが、筆者が住んでいた国で娘が通っていたところは運動会に似たスポーツイベントがありました。
ただ、日本のように練習に練習を重ねてというものではなく、ぶっつけ本番的な要素の強いイベントでした。
当日盛り上がりはするけれど、後腐れない感じのさっぱりしたイベントでした。
実際の我が子(運動は得意でない)の反応は?
運動嫌いの筆者の娘は、筆者ほど運動が嫌いなわけではなく、小さいころから外遊びや身体を動かすことが大好きです。
運動能力はよくもなく悪くもなくといった程度ですが、あまり活躍できる競技はありません(笑)
運動会にそれほど抵抗があるわけでもなさそうでしたが、入場や退場の練習、整列の練習、待ち時間の多い練習に関しては、娘も試練と感じるようです。
筆者の住んでいる地域は秋に運動会があるため、この時期は毎日体育の授業が2時間以上、多い日には3時間を超える練習があります。
しかし、幸いにも娘はそれほど嫌がっていません。面倒くさがってはいますが^^;
ダンスだけは楽しそう
今年はたまたま種目にダンスが含まれており、このダンスの練習がとても楽しいようで、毎日家でも披露してくれます。
ちょっとブレイクダンスのようなかっこいいダンスで、これを覚えていくのが嬉しい様子です。
かけっこも自信がなく、他の競技もあまり上手くいかないけれど、ダンスだけははまっています。
親としてはひとつでも楽しいと思えるものを見つけられたことが素晴らしいと思います。
家庭学習へのしわよせ
ただ、親目線で思うことはまだあり・・・
毎日約3時間程度の運動会の練習があり、体力がある娘でも、さすがに疲れている様子です。宿題もたくさんでますし、家での学習の時間にそのしわよせがきます^^;
体育の授業分の授業はカットされているので、算数や国語の時間がない日もあるのに、テストはしっかりあるため、多少の勉強はしないといけない状況です。
我が家は学校以外にも子供がしなければいけない外国語、習い事がありますが、子供に無理はさせたくないので、疲れている日に無理なタスクを与えることはしていません。
しかし、運動会シーズンだからといって、これらの家庭学習を完全にゼロにすることはできません。習い事もこのときだけ休むわけにもいきません。
かといって、運動会の練習がなくなることもありません。
この極端な運動会への傾倒を、なんとかしてほしいと、実際ちょっと困っています。
体力をつけることや、イベントに向かって努力することは大切と思いますが、筆者の立場からは全く喜べる状態ではありません。
これは単に筆者が運動会に良いイメージがないからこう思うのかもしれません。
他の方はどのように考えているのでしょう??
子供のお弁当より、大人のお弁当の準備のほうが大変
子供はまだ、運動会でのお弁当は楽しみにしてくれています。
とくに手の込んだ特別なお弁当を作るわけではありませんが、いつもと違う野外ランチは楽しいのでしょうね。
子供が楽しみにしているお弁当をつくることは喜ばしいことなのですが、やはり現実問題、お弁当作りの負担は結構あります^^;
「子供のための遠足のお弁当」であればそれほど負担はありません。
運動会は自分や家族(大人)の食べる分が含まれるので、必然的にたくさんの量のお弁当をつくらないといけません。
そのたくさんのお弁当を、見栄えのように盛り付けをして、学校まで自力(車は禁止されている)で運ばないといけません。
せっかくつくったお弁当が崩れないように、また、暑さで痛んでしまわないように盛り付け方や運び方などにもかなり気を使います。
あまりに見栄えのしないお弁当ではいけないという、暗黙の了解のような、大人の見栄も多少は含まれていると感じます。
そんなこともあり、お弁当作りにはかなりの神経と労力を使います。
それに加えて、子供は暑くて食欲がなくあまり量を食べられないという悲しい現実もあります。
大量のお弁当を、絶対に手作りするべきというような、固定観念にも悩まされます。
こんなこともあり、運動会=疲れる行事という印象がかなりあります^^;
運動会は大変という事実を認める
なんだか愚痴のような内容になってしまいましたが、運動会は結構な負担がかかるのは事実だと思います。
運動会の開催そのものも天候に左右され、予備日もあるため、スケジューリングだけでも結構大変です。
なので、運動会に気が重いのは極めてまっとうな感情だと思います。
「子供の運動会には全力でサポートするべき」といった固定観念にとらわれず、嫌だと思う心も受け止めた方が楽になると思います。
嫌なことを無理して楽しもうと思うと、余計にストレスになります。
なにはどうあれ、少し経てば終わるイベントですので、運動会の次にある楽しみなどに目を向けて、はなから期待していなければ、意外に運動会も悪くなかったと思えるかもしれません。