トライリンガル目線での英語!子供の育て方 バイリンガル日記

国際結婚し長い海外生活を経た筆者の目線で、英語(多言語)や子育て、音楽を主なテーマとし、役立つ情報や社会への想いを綴るブログです

蜜蜂と遠雷【映画の感想】曲や設定の原作との違いは?映画小ネタも紹介

蜜蜂と遠雷の映画の感想と、原作との違い、疑問に思った点、良かったところなどをまとめてみます。このブログでも蜜蜂と遠雷は何度も取り上げており、原作のファンなので個人的に期待していた映画でした。

原作を読んでから観て「えっ」と疑問にと思ったこと、また、逆に映画の良い部分など、原作&クラシックファンの視点での感想をまとめてみます。

 ※完全な個人の感想なのでご了承ください

 

蜜蜂と遠雷

春と修羅」と本選以外のほとんどのコンクール部分がない!

一番びっくりし、一番がっかりした部分はこれです^^;

映画の演出では、前半にピアノの音を出すのを焦らして後半盛り上げたいのかも・・・

しかし、原作の最初の風間塵(異端天才少年)の登場シーンもなければ、第1次予選、第2時予選、さらには第3予選まで、「春の修羅(原作での創作曲)」以外の全ての曲がカットされています・・・

 

創作曲のためどんな曲か分からない「春の修羅」が音楽として作られており、カデンツァのシーンも見事に再現されていたのですが、このカット部分が多すぎて、これについてはがっかり以外の何もありません。

 

映画なので演奏シーンだけをそんなに映してもしょうがないのだとは思いますが、この映画は4人の登場人物に合わせて人気ピアニストがキャスティングされていただけにに残念です・・・

 

演奏を聴けるのは

●春の修羅のさわりとカデンツ

●亜夜と塵のピアノ連弾のシーン

●本選のコンチェルトの練習・リハーサルと本番(抜粋の部分のみ)

 

でした。

つまり、春の修羅とコンチェルト以外の、すべてのプログラム曲が入っていません。

この記事にも一度まとめていますが、コンクールの選曲もキャラクターに合わせられており、素敵な曲がとてもたくさん詰まっています。

www.sararalife.work

 

天才少年が最初に弾くモーツァルトやバッハはどのように再現されるのかかなり気になっていたのですが、ピアノ独奏曲のクラシック部分が全くないのは残念でなりません。

この設定に合う演奏のピアニスト(通常の音楽教育は受けていないが、巨匠に才能を見込まれて推薦状がある設定)は現実にはいないのかもしれませんが、だからこそどう映像にされるのか気になってました。

 

  この記事では、風間塵(天才少年)のモデルは?についても書いています↓

www.sararalife.work

 

たしかに、1次予選~本選までを全部取り上げていたら、とても2時間の映画には収まらないと思います。

しかし、一曲も取り上げられていないのはなんだかなぁと思ってしまいます。

映画としては、既存のクラシック曲に焦点をあてるよりも、「春の修羅」を音で表すことで差別化をはかりたかったのかもしれません。

しかし、映画では春の修羅が始まるまでは演奏シーンが一切ないうえ、亜夜のエピソード、次いで明石のエピソードに焦点をあててるため(おそらくキャスティングの都合)、小説のメインテーマである風間塵の存在(ギフト)の意義もが分かりにくいです。

 

爆弾的に風間塵が登場する、原作の最初のほうのシーンがないため、終始ごまかされたような気持ちになってしまいました。

亜夜のエピソードも素敵で大切ですが、映画では物語のテーマが入れ替えられてしまっています。

(原作での物語のポイントは、亜夜の個人的な克服・成功だけではないから)

 

→風間塵という異質な存在が入ってきたことで、音楽界そのものが(良い意味で)変わっていくことがテーマだと思うのですが、そこの説明不足感が残りました。

 

プログラム曲は結構マニアック(?クラシック好きでないと聞かないような曲)な選曲も多いですが、モーツァルトショパンの人気曲もときどきありましたし、数曲でも取り上げられていたらよかったのにと思いました。(本選はプロコフィエフですし、マニアックでも別に良いと個人的には思いますが^^;)

第3次予選のプログラムはとくに、かなり凝って作られていたので本音は少しだけでもシーンを入れてほしかったです。

 

 蜜蜂と遠雷 原作との大きな違い

 都合上なのか、映画用に変更されている箇所が多かったのでまとめてみます。

 

雨だれ

ピアノの先生がお母さんになってる

 亜夜のお母さんが最初から回想シーンで登場しますが、なんと映画では亜夜とマサルの昔のピアノの先生→亜夜のお母さん 同一人物という設定に変わってました。

 

原作では、ピアノの先生は綿貫先生という、亜夜の母親とは別の人物です。

 

配役と時間制限の都合上かもしれませんが、この大きな設定変更にはびっくりしました。

ただ、物語の進行や意味的には、ここが変わっても特に支障はないなとも思いました。

 

塵の木製鍵盤と滞在場所

原作では塵はピアノを家に持っておらず(父親が養蜂家のため、移動ばかりの暮らし)、日本での滞在先(華道家の自宅)にもピアノはないという設定でした。

おそらく行く先々でピアノを探しているのだろうが、滞在先ではピアノがなくても平気という謎の人物でした。

 

映画では風間塵の滞在先についてはとくに触れられていませんでしたが、ホフマン先生(巨匠)が作ったという木製鍵盤(音の出ない鍵盤)で練習していました。

 

指から血を流しているシーンもあり、ちゃんと練習している感が漂ってました。

天才感、謎めいた感じは薄れてしまうのでストーリー上はなんとも言えませんが、個人的にはこの木製鍵盤のシーンはとても良いなぁと思いました。

 

音は鳴っていないけど、弾いている様子が本当に楽しそうなんですよね。

音楽好きとしては共感できる部分がとてもあります。

実際に音が鳴っていなかったとしても、自分の心の中で音が鳴っている感覚が再現されていました。

塵が心で音楽を奏でている様子が伝わってきます。

 

木の鍵盤

明石の練習場所 元蚕部屋→自宅へ

明石の練習場所は、原作では蚕部屋を改造した場所とされていましたが、映画では自宅にグランドピアノを置いて練習していました。

自宅の場所が田舎だったので、ピアノの練習ができるということになったのかなと思いました。

原作には明石の生活の様子はあまり出てこないのですが、想像していた以上に素敵な家でした。

映画なので美術面に凝っているだけとは思いますが、とてもおしゃれでいい感じの古民家でした。おしゃれな古民家にグランドピアノがあり、そこで奥さまに演奏を聴いてもらう。

この自宅や奥様との生活がとても素敵なので、明石は天才でなくても普通に幸せそうに見えます(笑)

明石はコンプレックスがある設定なので、原作からするとなんだか違いますが、映画単体で考えたら明石の家のシーンは温かみがあって良かったです。

 

亜夜と塵が連弾する場所

原作では「音大の先生の友達(ピアノの先生)の家」で連弾するのですが、映画では夜のピアノ工房になっています。このほうが雰囲気が出るからそうなのかな?スポンサーの関係なのかな?と思いました。

この場所にあまり深い意味はないので、薄暗い工房というのもなかなか良く、原作より自然な感じすらします。

 

亜矢と塵が連弾する曲

連弾シーンが再現されており、映画の魅せ場のひとつとなってました。

この連弾シーン、とっても素敵で良かったのですが、連弾している「曲」はドビュッシーの月の光以外、原作とはちょっと違います。

 

映画では、

ドビュッシーの月の光→途中から重ねてジャズの"it's only a paper moon"を塵が入れる→亜夜が伴奏をつける→曲が変わりベートーヴェン月光の一楽章→ドビュッシーの月の光 

と弾かれています。

 


映画『蜜蜂と遠雷』亜夜と塵の月夜の連弾【10月4日(金)公開】

原作は

月の光を連弾→fly me to the moonへ変わる→ベートーヴェン月光の2楽章→ユニゾンで月光3楽章→月光3楽章を伴奏にして"how high the moon"→"how high the moon"を連弾

 

と言う流れ。 

 

個人的にはこの月光3楽章の連弾と、月光を伴奏に"how high the moon"がどう再現されるのかかなり興味を持っていました。

月光3楽章が伴奏になりえるとしたらどのように?と期待していたのですが、この部分は変わってしまいましたね。

 

月光3楽章はこちら


Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 3

 

fly me to the moonも好きな曲なので、これと月光2楽章の対比も聞きたかったのですが・・・(出だしの雰囲気が似ていると書かれています)

 

it's only a paper moon はmoonが入っているから急に出てきただけかと思いましたが、原作最初のほうの章のタイトルとして使われていました。

たしかにこの曲のほうが、how high the moonより分かりやすいしクラシック曲と合いそうな感じはします。

月光2楽章はあまり有名ではないのでナシになったのでしょうか・・・

 

映画の連弾シーンは素敵でしたが、原作がどのように再現されるのか気になっていた身としては曲変えはうーん・・・と思ってしまいました。

(文字で書くのはできても、音楽での再現はちょっと厳しすぎたのかもしれません・・・)

 

 本選のコンチェルトの曲目

 本選の選曲は原作では亜夜がプロコフィエフの2番、マサルが3番を弾いています。

 

映画ではこの曲目が逆になっており、亜夜が3番、マサルが2番でした。

 

一瞬えっと思いますが、原作でマサルの3番の選曲と演奏に関して、それほど深くは書かれていません。亜夜についても、昔弾けなかった曲を弾くというだけで、このプロコフィエフ2番についての思い入れは語られていません。

 

また、原作では最後の亜夜の演奏シーンは綴られていません。

そのため、この入れ替えは大きいですが、実際観るとそれほど違和感はないなと思いました。

 

しいていえば、亜夜の音のイメージには2番のほうがしっくりきますね。

映画がラストで盛り上がることを優先されたのかもしれません。

 

マサルのコンチェルト奮闘シーンと指揮者

マサルがコンチェルトと合わせるのに奮闘しているシーンがありましたが、これはすべて映画のために作られた新しいシーンです。

曲も変わっていますし、あのちょっと意地悪な指揮者も、原作では普通の指揮者ですし、そもそもそこまで指揮者に焦点があてられていません。

 

第三次までのほとんどすべてを削った分、本選のコンチェルトとオーケストラとのあれこれを深く描写している印象でした。

 

コンチェルト

 

映画ならではの良かったところ!

期待していたぶん、原作との違いで気になるところはありましたが、良かった部分もたくさんあります。

前半に不満な内容が多くなってしまったため^^;、映画の良かった部分もまとめます。

 

架空の課題曲「春と修羅」の再現

原作での架空の課題曲が再現されていたのも、今回の映画の大きなポイントです。

既存のクラシックやジャズは頭の中で音を鳴らせますが、架空の曲だけは想像することしかできません。

 

映画のために作曲されたという「春と修羅」は、いかにも現代音楽(クラシック)という感じで、ラヴェルの音楽に通ずる透明感がありました。

 

カデンツァの再現が見事すぎる

そして最もすごいのが、小説で書かれているイメージに合わせて、それぞれのカデンツァも作曲されていることです。

本当にイメージとぴったりと言う感じです。

亜夜のカデンツァだけが、個人的にイメージしていたものよりもよりドラマティックな曲想だったのですが(もう少し落ち着いて壮大な感じの曲をイメージしていた)、あのカデンツァも物語にとても合ってると思いました。

 

個人的に一番好きだったのが塵のカデンツァで、手の動きまでイメージどおりで、あの演奏からは天才感が漂ってました。

 

明石のカデンツァに関しては、雰囲気はイメージ通りではあるんだけど、特別賞をもらうほど観客と作曲者の心をつかむ理由が、正直よく分からなかったです^^;

親しみやすい温かいメロディーということなんでしょうか?

もし生で聴いたらすごく優しくて素敵な音なのかなぁと想像しましたが、映画館のデジタル音ではそこまで聞こえません。

 

特別賞をもらう特別なカデンツァということで、これに関しては期待値が高すぎたのかもしれません^^;

 

風間塵役の新人がぴったりすぎ

上手い俳優さんが揃っているのだと思いますが、一番役にはまっているのが新人で選ばれた風間塵役の俳優さんでした。

小説を読んだだけでは、この風間塵は謎に満ちており、イメージが定まらない気がしていました。

この新人の俳優さん、本当にイメージにぴったりで、彼以上に合う人は他にいないんじゃないかとすら思えます。

 

容姿が良いのは当然でしょうが、目がキラキラして澄んでいるんです。他のどの俳優さんよりも目が光ってました。

 

そのキラキラした目で、演技なのか素なのか分かりませんが、楽しそうにピアノを弾いてるんです。無邪気な天才である風間塵を感じる雰囲気が十分にありました。

 

彼の眼は、映画のポスターでも光っています。もともとなんでしょうか?

本当にうれしくなるくらい役にぴったりなキャストでした。

 

ただ、亜夜役と明石役が名高い俳優さんとのことで、この上下関係で原作での風間塵の天才さを前面に出せなかったのかな?とも思いました。だとしたらちょっと残念ですね。

完全な大人の事情ですから。

 

亜夜のコンチェルト演奏シーンが観れる

原作では想像に任されていた亜夜のコンチェルト演奏。

これが再現されていたのも映画ならではの嬉しいポイントでした。

原作の設定の色とは違いましたが(シルバー)最後の亜矢のカラフルなドレスは綺麗だと思いました。

ちょっと重ためで深い、亜夜の音のイメージとも合っている気がします。

プロコフィエフ3番が宇宙のイメージなので、それに合わせてるのかな?とも思いました。(原作ではスター・ウォーズのイメージと出てきます)

 

マルタ・アルゲリッチの弾く3番はこちら


Martha Argerich plays Prokofiev Piano Concerto No. 3 at Carnegie Hall

映画ならではの小ネタ

英語&字幕シーンが多い

想定外だったのは、英語のシーンが結構多いことです。審査員のナサニエルマサルは英語で話します。日本人ですが審査員の三枝子もときどき英語を使っていました。

字幕に慣れていない子供や年配の方が観るケースでは、あらかじめ伝えておいた方がよいかもしれません。

結構大切な事が英語で語られています。

子供は何歳から観れそう?

小学校に上がったくらいから子供も観れる内容と思います。

怖いシーン、シリアスなシーン、幼児不可な恋愛シーンなどは一切ありません。

ただし、年齢よりも音楽自体に興味がないと結構退屈しそうな内容かもです(退屈してしまうかも)。眠らせるというのもアリかもしれませんが^^;

逆に、音楽が好きな子やピアノを習っている子なら幼稚園でも楽しめるかもしれません。迫力ある演奏シーンに我が子も釘づけになってました。

一番前や端の席を確保したり、空いている時間帯・映画館を狙えばより観やすいと思います。

ちなみに、筆者は週末に子供と観に行きましたが、他に子供の姿は見当たらず、年配の方が多かったです。

 

俳優さんが弾いているらしき部分がある

ほんの少しですが、ピアノを練習した俳優さんが直接自分で弾いている(手を動かして弾いているフリをしている)と思われる箇所があります。

演奏シーン(本格的に弾くところ)はピアニストの手に切り替わるのですが、ごく一部にこれは俳優さんだなと思う動きがあります。

 

結構明らかなので、ピアノを弾く方は手の動きに注目してみると面白いかもしれません。

 

 原作は絶対読んだ方が良い

映画から観た方には、原作を読む事を強くお勧めします。

まとまってはいましたが、省かれている部分が多すぎるため、すべてを理解するには本を読むのが手っ取り早いです。

筆者は一度読みましたが、時間を見つけてもう一回ざっと読んでみたいなと思っています。近年フィクションの小説はあまり読まなくなったのですが、これは小説に入りにくい大人の心もつかむ作品だと思います。

結構ボリュームが多いのですが、途中からは夢中で読めました。

文庫を持っているのですが、こんなに心を掴まれるなら単行本にしておけばよかったと後悔しています。たった数百円の差でした。

 

 

続編の短編集「祝祭と予感」も発売されました

映画化に合わせて、続編の短編集も同時に発売されてました。

筆者はamazonからのお知らせメールでこの発売を知り(笑)、映画鑑賞後に購入してしまいました^^;

本編がとてもよかっただけに、続編にはあまり期待しすぎないようにしますが、蜜蜂と遠雷を読んでいるときの感覚がとても心地よいので、またあの感覚を味わえるかと思うととても嬉しいです。

日本の小説には、変に西洋文学の真似をしたものも多いですが、この小説にはまったくそんなところもなく、オリジナリティがあってとても好きです。